金曜日の夜、彼女の紫煙。
ああ、視界がぐるぐるまわってる。
どことない解放感に、浮き足立つ気持ち。それらに身を任せ、調子に乗って弱いお酒をいつもより早いペースで飲んでしまったのがだめだった。
賑わう同席者たちに、賑わう店内、全ての音がどこか遠く、ぼんやりと聞こえてるのがきもちわるい。
煙草吸いたいなぁ。
いつだったか、煙草って美味しいのと聞いてみれば、吸ってみたらと言われて手を出したのがきっかけだった気がする。
酔っ払ってフワついた意識のなかで肺に染み渡る紫煙は、どことなく甘美な味がした。
あれ以来、普段は吸わない人間だけど、お酒を飲むとどうも煙草が吸いたくなる。
朦朧とする意識のなかで、同席者のひとりが煙草を片手に席を立ったのが見えた。どうしても吸いたい欲求に勝てなくて、もらおうと思い少しよろめきながら席を立てば、背中越しに気をつけろよーと声がかかる。
喋るのも面倒で、その声に大丈夫だとアピールするために片手を上げて、おぼつかない足取りでその後を追った。
スモーキングルームにその姿を確認して扉を開ければ、煙草の匂いが一気に押し寄せてきた。
目は口ほどに物を言うというけれど、追いかけてきた私の存在に気がついて、どうした?と切れ長の二重の瞳は、感情豊かに語る。
ほぼ初対面の彼に、してやったりのような気分になって、口角を少し上げて微笑みかけながら、たばこ、いっぽんちょうだい、と声をかけてみた。そんな自分の声は、思った以上に酔っていて、少し甘ったるい。
その声色か、はたまた煙草を吸うことに驚いたのか、どちらにせよ、驚いたような表情をしながら煙草とライターを差し出してくれた。
ありがとうといって煙草を受け取ると、目尻を緩めて返事をくれる。どうやら、彼が愛煙しているのは、Winstonらしい。
Winston…と呟けば、彼はこれが一番おいしいんだよねーと間延びした声で返事をして、紫煙を宙に吐き出す。その煙の行方を目で追いながら、他愛もない、中身もない会話を続けていたが、全部右から左へ抜け落ちた。
だるい身体に、煙草を深く吸い込めば、お酒の気持ち悪さが少し抜けたような気分になる。それにやっぱり、お酒を飲みながら吸う煙草は格別に美味しい。
Winstonといえば、この間会った、ひとつ年下の美しい彼女が吸っている煙草だったなと、2人で初めて会ったあの金曜日の夜を思い出す。
大衆居酒屋の中、彼女が瞬きをするたびに、照明で煌めくアイシャドウのラメ。すこし鼻にかかる、甘い鈴のような声。細く、美しい指先にはさまれた華奢な煙草と、形の良いくちびるから吐き出された、煙の行方。
彼女の静かな、その動作をただ目で追っていた。無意識にそうしてしまうほど、私は彼女のなにかに惹かれている。
そんな、彼女が吸っていた煙草というだけで、この煙草を尊く感じる。
普通なら(普通がわからないけれど)、男女2人、赤ら顔に同じ煙草を吸って、よく分からない掛け合いをしている状況に胸をときめかせるのだろうか。
ただ、私には、そんなことよりも、彼女に会いたい気持ちがフツリとわいた。
彼女に対する気持ちを表すなら、なんだろう。友情?恋?それとも、愛?
同性であるのに、なんとも言えないこの気持ちを、よくうごかない頭で考えるだけ、ムダムダ。
そんなことをしているうちに、最後の一口を吸い終える。お先にと断って扉をあけると、彼から、楽しかったよと声がかかった。
笑いながら、わたしもと言ったけれど、本当のところ、会話の内容なんてほとんど覚えていない。
それよりも、Winstonの彼女に対する会いたい気持ちが爆発しそうになるまで膨れ上がってきて、声にならない声で、何度目か分からない気持ちを呟いてみた。
これを知ったら、彼女はなんて思うだろう。たぶん、引かれそう。いや、確実に引く。
失笑されるかもしれないけど、そんな彼女の笑顔も美しいから、いいな。
あの金曜日の夜の彼女の紫煙と、さっきまで一緒にいた彼の紫煙。どちらも同じものなのに、私にとって強い感情をもたらす彼女の紫煙は美しい。
あーあ、早く彼女に会いたい。
まだ酔っ払ってますよという風に、顔に笑みを浮かべて席に戻れば、彼もすぐに戻ってきた。
そんな彼とまた話で盛り上がりながら、神様に都合の良いお願いをする。
もし、これを見た大好きな彼女が、引きませんように。
また、あの少し甘い煙草の匂いと名前の知らない香水の匂いが香る彼女と会えますように。
いつかの火曜日の夜、酔っ払いの話しは、これでおしまい。