人間交差点

あったことやなかったこと、ありもしないことやあってほしいこと。

目が悪くて、ほんとうによかった。

 

友人のあおとふたりで、ブログをはじめた。

 

お互いに送り合った写真を元にショートストーリーを考えてみたり、小説の一文からふたりで違う物語を紡いだり、あったことやなかったこと、ありもしないことやあってほしいことを淡々と綴る。

 

会社の飲み会で疲れ切っている人。

インスタのストーリーに次々と挙げられる、同級生たちの楽しそうな様子に寂しさを感じている人。

突然、自分には何もないような気がして、とにかく誰かと繋がりたい人。

 

金曜夜23時。

お酒を片手に、他人の人生ちょっとのぞいてみませんか?

 

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目が悪くて、ほんとうによかった。

この世界の隅から隅まで色鮮やかに、いつでもどこでもくっきりと見ることができたなら、目の前にあるものの輪郭を一切のずれ無くなぞることができたなら、わたしはわたしでなくなってしまうだろう。

 

 

海の向こう側でゆらゆらひかる夜景を見つめながら、恋なんて遠くから見つめているだけでいいと思う。

給料3か月分の婚約指輪をガラスの外側から眺めるよりも、ずっと遠くから。たとえば、ショッピングモールの通路の真ん中にいくつも並べられているベンチよりも遥か後ろ、反対側の店の中から。

 

遠くにある光の輪郭を一切のずれ無くなぞるなんて不可能だ。その輝きに隠された真実や知りたくなかった思い、欠けた部分に気づかぬまま、美しさにただただ酔いしれ、まだ見ぬ世界への期待と喜びに胸を躍らせることしかできないだろう。

 

欠けた部分のない人間なんていない。それは誰よりもわたしが1番よく知っている。

だからこそ、目が悪くてほんとうによかった。物理的に距離が遠くて輪郭が曖昧に見えるのと、視力の低さによって輪郭がぼやけて見えてしまうのは、殆ど同じことのように思う。

彼の隣にいるためには、‘‘低視力’’が必要条件だった。目の悪さが補完してくれるのだ、彼とわたしの欠けた部分を。そのおかげですべてが美しく見える。

 

 

ハッと顔を上げ、ぼやけた夜景をもう一度瞳の奥に焼き付けると、窓ガラスにiPhoneを密着させたまま数回シャッターを切る。

行き場のない写真ばかりがカメラロールに増えていく。空が綺麗だよとか、道端に花が咲いていたよといったくだらない話もしたことがないのに、彼から深い話を聞きだすなんて到底できやしなかった。彼と彼の帰りを待つ人との間に生まれた子供の性別すらも知らない。

 

 

iPhoneを2人掛けのソファーに投げ、なめらかな白いシーツの上に肌を滑りこませると、途端に世の‘‘正解’’がみぞおちの辺りにドスンとぶつかってきた。ベッドの中に薄く広がる彼の体温を感じて、胃がギシギシと痛みだす。

世間一般的に言えば、こんな関係は間違っているのだろう。

 

それでも、隣にいる彼が「愛している」と言ったことだけは、紛れもない事実だ。本当に愛しているかなんてわたしにはわからないし、誰にも知り得ない。
「愛している」ことが彼にとって真実かどうかなんて正直どちらでもよくて、今ふたりで肌を寄せ合っていることだけが事実であり、真実だ。

 

物質的にも精神的にも溶けてひとつになってしまいたいと思うわたしとは裏腹に、彼はふたりの間にいつだって膜を張って、そうはさせてくれなかった。
矛盾しているかもしれないがその姿勢に安堵しながら、関係を断ち切れない彼と自分自身に心底うんざりしていた。

 

 

目の前に広がる皮膚のなめらかさ、角張った指。

夕方になるとゆるりとカールするやわらかな髪に、薄めの唇。

色素の薄い虹彩と、ふたりきりの時だけ甘くなる声や囁くことばの温度。

 

わたしと一緒になる気がさらさらないことなど、とうの昔から知っている。それでもなお、そんな事実など知らないというような顔で微笑みかけている。

 

彼の帰りを待つ人を想像していたらどうにも息苦しくなってしまったので、背を向けた。温かい左腕に頬が触れて、すこし気持ちが悪い。

そうだ、わたしでなければならないことなんて、ひとつもなかったのだった。

 

 

今まで目が悪いことを理由に、愛を囁いた後にすこし曇る彼の瞳を知らんぷりしてきた。綺麗にアイロンがかけられたシャツを、躊躇いなく脱がしてきた。

 

目が悪いことを理由に、腕枕した彼の左手薬指に残る指輪の跡にも、劣等感や疎外感にも気づかぬフリを続けている。

 

  

わたしが目を閉じたことを感じ取り、小さく溜息をついたようだった。

ドラマチックな展開なんて、それこそドラマや映画の中にしかない。そしてドラマの中であっても、特に不倫は最悪な結末を迎えることの方が多い。

 

汚れひとつないまっさらなシーツを右手で静かに撫でながら、彼がどう絶望させてくれるのか楽しみに思う自分がいる。

 

 

もしかするとわたしの低い視力ではなく、綺麗にアイロンをかけられたシワひとつないシャツこそが、彼の欠けた部分を補完しているのかもしれない。そんなことを考えているうちに、深い眠りに落ちてしまっていた。